はとにっき。

こじれたのあの子の日々のあれこれ。

自分内ランキング 〜邦楽編〜

最近のマイブームが、自分の中でランキングを作ること。

なんて根暗なマイブームだと思われるかもしれないが、根暗なんだからいいのだ。

マイウェイ。

 

それに自分内ランキングって実は結構難しいことなんじゃないだろうか、と思っていて。多分、昔の自分だったらできなかったんではなかろうか。

 

自分の好きなものを純粋に語ることって難しくないだろうか。

私は難しい。いや、難しかった。

好きが何かわからないというか、自分の好き、が迷子になる瞬間が今まで何度もあった。若さゆえの迷走なんだろうか。

ファッションの方向性が若い頃はコロコロ変わるのとかも、実はそういうことなんじゃないんだろうか。

あと学生時代とかは、好きなものの道を定めたがるような部分もあるような気がしている。「これが好きなんだから、他はダメ」みたいな。

あれも好き、これも好きは通用しないような感覚を、外で、意図しないところで勝手に感じていたような気がする。

年齢が上がるにつれて、なんだかそんなよくわからない感覚的なジレンマがなくなって、今は好きなものが驚くほど多岐に渡る人間になってしまった。

でも今が一番楽しい。好きなものは好きなのだ。それでいいのだ。

 

邦楽も洋楽も、クラシックも映画音楽も、とにかく音楽は大好きだ。

 

私の中の「この邦楽の歌詞がすごいランキング」を寝る前にぼ〜っと考えていた。

結果は以下

 

宇多田ヒカル

誰かの願いが叶うころ

 

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cocco

『樹海の糸』

 

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中島みゆき

『糸』、『命の別名』

 

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命の別名はなかった…

 

山下達郎

僕らの夏の夢

 

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邦楽の良さは言葉表現の良さ一択だと思う。

言葉の余韻とかそういうものが豊かな曲はとにかくいいなぁと思ってしまう。

 

『誰かの願い〜』は

誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ

みんなの願いは同時には叶わない」

この一節がすごい。

誰かが幸せになった裏では、その夢が叶わなかった誰かは幸せにはなれない。

必ずそういう事象が世界のどこかで起こっていて、世界は必ずどこかで繋がっている。

それをこの短い一曲で表現できてしまうのは、本当に背筋がピンとする思い。

 

『樹海の糸』は

「わたしさえいなければ

その夢を守れるわ」

「あなたさえ いなければ

この夢を守れるわ」

の一節が、ズンとくる。

誰かと誰かが一緒にいるって、必ずどこかで(事の大小に関わらず)お互いを犠牲にしている部分があって、自分の夢全てを叶えようとした時に、きっとお互いが邪魔になってしまう瞬間がくるのは常なんじゃないだろうか。

まったく異なる人間が一緒に居るということを選ぶ、ということは綺麗事だけではなく、そういうことも含むんだよなとこの歌詞を聴くと思います。

 

中島みゆきさんの歌の歌詞はどれもパワーが強すぎるけれど、

特に好きなのはこの二つ。

どちらも1998年放送のドラマ『聖者の行進』のOPとEDで、ドラマの内容も相まってとにかく素晴らしい歌だな〜って思ったのだった。

このドラマ、今放送したらとにかく放送倫理とかでワーワー言われてしまうのかもしれないけど、わたしはすごく好きだったな。今のドラマは視聴者の意見ばかりを気にしてしまってあまりにもお花畑すぎやしないだろうか…。

作り手が撮りたいものを撮れる時代では、決してないんだろうね。世知辛い

 

さて、『糸』の好きな部分は

「縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき糸に 出逢えることを

人は仕合わせと呼びます」

 

『命の別名』は

「繰り返すあやまちを照す灯をかざせ

君にも僕にも すべての人にも

命に付く名前を「心」と呼ぶ

名もなき君にも 名もなき僕にも」

 

どちらも言葉あそびというか文字遊びのような部分があって、

歌詞を見るとおおっとなるからすごいんだよなぁ。

 

最後は

僕らの夏の夢

「心と心を重ねて

光の滴で満たして

手と手を固く結んだら

小さな奇跡が生まれる」

 

山下達郎さんの声の質のあるかもしれないけれど、

とにかく日本語の表現が豊かで、夏雲の情景とかが浮かんでくるような歌。

お互いが理解し合うということを、心を重ねて光の滴で満たすって表現に辿り付くことってあるんだろうか…しゅごぃ…

 

こんな感じで、好きなものを勝手にランキングにして遊んでいる。

とても楽しい。

 

あとちょっとした番外編で

「歌詞の中にものすごい場の空気感と物語を感じる邦楽ランキング」には、

確実に阿部芙蓉美さんがジョインする。

阿部芙蓉美さんの歌には、とにかくキンッと空気が張ったような冬の澄んだ朝に窓から光が射し込んで、キラキラ舞っている細かいホコリが見えるようなそんな日っていう感じがある。

 

特に好きなのは

『開け放つ窓』

『希望のうた』

 

『希望のうた』は

「耳を塞いでみてよ

だれも君を咎めないよ

静けさの中で

君がやっと

呼吸するのを見ている」

 

こんな短い一節に、すごい物語が詰まっていて静かな夜明けとかに聴くと本当になんとも言えない切なさと暖かさに包まれる歌。

阿部さんの歌はその情景や場の空気を歌に込めているような気がして、本当にすごい。

 

まきちゃんぐの『さなぎ』にも同じように感じる部分があって、

 阿部寛さん主演の2008年の映画『青い鳥』の主題歌にもなった歌。

映画も澄んだ透明な空気感を感じるような作品だった記憶。

(定かじゃないけれど)

 

「朝日が落ちたら涙も散る

高速道路 車は走らない

生ぬるい言葉

瘡蓋になっていく

後ろ姿だけあともう少し

大丈夫そんなに弱くない

右手なんかいらないよ

溢れちゃうから

だからせめて

こうしていさせて

いつか羽ばたくための蛹」

 

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これは前部分の歌詞とついになっていて、

夜になって車通りのなくなった高速道路のオレンジ色の情景が浮かぶのがすごく切ないけれど、希望がある歌。

邦楽のいい部分は、日本語の表現力にあると思っているから、

こういうことを考えるのがあまりも楽しくていけない。

今夜中の3時だよ、ビックリする…

 

 今回は歌詞に注目して書いたけれど、

ノリ的なランキングではまた別のが浮かんでくるからもうこれ永遠に続く気がする。

だめやわ。

 

考えるのはこの辺でやめて、

大人しく寝ます。

 

それではまた!

 

イオム

 

金正恩の髪型作るのめちゃむずだってtwitterで言ってた。

ブログを書くのは何年ぶりなんだろう。

今までだって飽きっぽい面倒臭がりな性格上、続いた試しがないのだ。

一番書いていた時期はそれこそ学生時代のmixiでだ。ものすごいエモ。

スタートから不穏な空気しかない。

スタートと言っても、このブログだってアカウントを作ったのは今年の1月だ。

一体何してたんだ8ヶ月間。

 

まずブログだ。ブログっていう存在のハードルが高いのだ。

元来見栄っ張りな性格でいいことだとか面白いことだとか、真面目に書こうとしてしまうことが問題なのだ。

なに書いたって、木から葉っぱが一枚落ちましたねレベルで生きている上で影響力のないような内容なのに、だ。

よし、もうちょっとフラットに生きよう。

 

なんなんだこの前置き。

 

いつも頭の中にある考えは、

大体思い付いたその場で好き勝手にtwitterに書き記すけれど大概長くなる。

長文になるのならブログが向いているのか、と思ってまた性懲りもなくスタートしてしまったのがこのブログ。目的は、雑感の吐き出し場以外にない。

ここまで書いてみてわかったことは、多分これ向いてない。

すでに明日には書いてなさそうだ。

頑張れ自分。

 

去年まで都内のデザイン事務所で働いていました。

もちろん世間を賑わせている漆黒のブラック企業である。

もはや企業だったのか?とすら思う。

やっぱり色々あって、なんやかんやモニャモニャして、ピッタリ3年で辞めたのだ。

ほんと辞めてよかった。

(これってみんな合言葉のように言うね。でもほんと、そうなんだよ)

 

その時のことは、気が向いたら改めてどこかで覚書として残そうかとは、思っている。辞める時、辞める前、辞めた後。新卒で右も左もわからないまま過ごして

きた自分にはとにかく知らなかったこと、知って助かったこと、面倒だったことなどが山盛りのてんこ盛りだったから。

とにかく辞めてから、知ることは多かった。

いかに会社で働いていたことで自分がぼんやりと温室で過ごしてきたことかと思い知った経験は自分にとって有意義だった。

社畜としては死んだ顔して連日修羅場を生きていたけれど)

だからって別に今苦しい人に辞めたら?て言うつもりで書いている訳ではないし、このブログはそういう目的で作ったわけではないのである。

 

続ける辞める、どう生きていくのかはその人それぞれに与えられている裁量だから、誰かの話に耳を傾けることはできても他人の人生の選択肢に介入するのはやっぱり違うと思っている。

 

そんな私は、とにかく人生において両親に何から何まで助けられている

デロデロの甘ったれなので、どの口が?といったところである。

二人には、今にも先にも感謝しかない。

 

自分がそうなった(退職)当時は、山ほど似たような体験ブログを読んだりしていて、

「どうしてみんなこんなに詳細に書き記しているんだろうか?」と思っていたけれど。

いや、これは書き記すな、自分のために。という気持ちだ。

当事者になってみないとわからないこととは、こういうことなのだろうな。

 

今現在、会社を辞めようかとか自分の状況を思い悩んでいる人は、

別に具体的に何をしなくてもいいから(多分億劫になると思うんだ)自分と似たような状況にある人がいるのかどうかGoogleで曖昧検索でやってみるといいのかもしれない。

「会社 辞めたい 辞めれない 金ない」

みたいな感じで。

いるよ、たくさん。

 

一緒って安心するよね。

心なんか決めなくたって、なんかそんなんだけで、いい気がしてる。

 

これなんの話。

 

フリーになりたいうじうじ系で生きてます。

 

今は印刷系のデザインから、webのスキルをつけたいと思って学校に通っている。

人生で何度学校に通うんだっていうレベルで学校に通っている私だ。

 

四年制の大学を出て、二年制のデザインの専門に通い、3年間働き、今はwebデザインの学校に通っている。

今が一番、必要とする知識を得ているな、という実感がある。

実際、自覚やある程度の業界知識、強い意志がないままの学びはあまり身につかないのが常なのかもしれない。

 

見出しにはフリーになりたい、と書いたけれど、

フリーでガツガツとやっていくというのとはなんだか違う感覚なのだ。

実際少しだけ自由に働かせていただけているが、それだけで家賃、生活費、住民税、奨学金、年金、保険料が払っていけるのか?

 

馬鹿野郎、払っていけるわけないだろう。

 

世の中に存在しているフリー職の方々で、ご家族を持たれている方、神様です。

すごすぎる…。でもきっとそれだけの基盤作りをして、とにかく身を粉にして働いてきた結果なんです。みなさん、クリエイターって、すごいんですよ、本当に…

お金、わんさか払ってあげて…私にも…

 

ともあれ、のしかかるのは日々の生活の現実。

 

でも一旦、そういうことを考えるのは辞めました。

最初はどうなるかわからない日々で、毎日お腹痛くなるほど不安だったけど、

今はどうにか、なんだかんだ生きてる。それが大事だな、と思います。

 

こんな感じの、ブログです。

暇なときには、よろしくお願いします。

 

金正恩、全然関係ないです。

ごめんなさい。

だって起きたらミサイル報道でいっぱいだったから…

 

イオム